チャンネルJのJはJapanのJ?JournalistのJ?

旧タイトル「労働組合ひとり」。チャンネルJという朝日新聞OBが作った原発ムラの末端の末端くらいの会社で、ひとりで労働組合に入って活動してたら解雇されました。もともと労働組合を通して会社と戦う話のつもりだったのですが、紆余曲折ありまして。。。あくまで原発問題は脇筋です。ただ、天下国家を偉そうに語る連中の姑息なインチキがムカつくので、今も盾突いてます。

創造性の育成塾 有馬朗人塾長 講義検証②

(講義全体の動画は創造性の育成塾 > 第7回夏合宿 > 授業レポートで見られます)


有馬先生、講義開始から1時間以上が経って
福島第一原発の事故について触れ始めます。



【津波はノーマーク】


 
 (講義の動画 1:05:25〜)




「ごくごく僅か、2人3人というごく僅かな人が
 1千年前に大きな津波があったらしいということを言い出して
 その人たちの意見は十分な実証性が無いと、地震科学者自身が考えていた。
 でも、もっとわれわれは、その人たちの言うことに耳を傾けるべきだった」
 

1千年前の話を信用するかしないかの問題じゃないでしょ、福島第一原発の事故は。
「耳を傾けるべきだった」と言いつつ
「ごくごく僅か」な少数意見であったことを強調してるし。
地震学者だってまともに取り合ってなかったのに
ましてや我々が…って聞こえるよね。


国会事故調ははっきり言ってる。


  (国会事故調 報告書 P82)




「私が一番残念に思ってるのは、2005年にスマトラ沖に大地震があって
 25万人死んでる。

 そのことを知ったとき、日本の対策をもっと厳しくせよと
 なぜ私自身が言わなかったか」


有馬先生が言わなくても
スマトラ沖地震の後、津波の危険は日本でも取り沙汰されていた。


  (国会事故調 報告書 P85)




「安全だと思わなかった人がいる。褒めようと思う。東北電力の技術者だ。
 東北電力の技術者は、女川というところに原子力発電所を造った。
 女川には明治の頃に大津波が来て13mの高さがあった。
 そういう言い伝えをよく聞いて

 東北電力の技術者たちは、13mより上に原子力発電所を造った。
 そのために、原子力発電所には、津波のときに女川の人がみんな逃げ込んだ。
 そして、女川の人々の相当部分が原子力発電所の中で助かったし
 原子力発電所はついに故障を起こさなかった。
 それに比べて福島第一のほうは可哀想に
 仙台より南には津波が来るという伝説が無かった」


「言い伝え」とか「伝説」とか
有馬先生は、3.11の津波を科学の守備範囲を超えた話にしたいみたいね。
「褒めようと思う」…って何だかなあ。


国会事故調は女川原発についても言及している。



  (国会事故調 報告書 P186〜187)


満潮のときに地震が起こってたら女川原発もアウトだった。
無事だったのは運でしかない。
それを「褒めようと思う」じゃねえよ!
それに、地元の人たちは津波から避難するために発電所に逃げたんじゃないんだぜ。
津波のあと、道路が寸断されて行き場を失った人たちのために
発電所の体育館が開放され避難所になったという話だよ。
有馬先生の言いかたは事実と違うよね。わざとだったら呆れるよ。
何か本当に、電力会社のことを少しでも良く言おうとしているような。。。


あと、そもそも
福島第一原発の事故の原因は津波だけと決まったわけじゃないからね。

これについては後述。


全然終わらん。
続きます。。。



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続きますと書いてておいて続いてなくてm(__)m
完全にタイミングを逸してしまいました。


そのうち、こっそりアップするかもしれません。。。