チャンネルJのJはJapanのJ?JournalistのJ?

旧タイトル「労働組合ひとり」。チャンネルJという朝日新聞OBが作った原発ムラの末端の末端くらいの会社で、ひとりで労働組合に入って活動してたら解雇されました。もともと労働組合を通して会社と戦う話のつもりだったのですが、紆余曲折ありまして。。。あくまで原発問題は脇筋です。ただ、天下国家を偉そうに語る連中の姑息なインチキがムカつくので、今も盾突いてます。

革新的エネルギー・環境戦略

9月14日、政府は2030年代の原発稼働ゼロを明記した
革新的エネルギー・環境戦略」を決定しました。


原発ゼロなのに核燃料サイクル政策は継続など、矛盾を含んだ内容で
脱原発側、原発推進側、両方から批判されておりますが
各新聞の社説を見ると、見出しだけで、各紙の立ち位置がわかって面白いです。


東京…もっと早く原発ゼロへ
朝日…原発ゼロを確かなものに
毎日…原発ゼロ政策 実現への覚悟を持とう
日経…国益を損なう「原発ゼロ」には異議がある
読売…「原発ゼロ」は戦略に値しない
産経…原発ゼロ政策 即時撤回して「25%超」に 世界で孤立し責任果たせぬ


東京新聞から産経新聞までグラデーションがしっかりできてる気がするよね。


で、ここまできたら、社説の中身も見たい感じですけど、長いので後回しにして
目についた各界の反応を書き留めておこうと思います。

■米倉弘昌・経団連会長 
「日本経済は壊滅的な状況になる。日本脱出を一生懸命考える企業が出てくるだろう。アンチ(反)ビジネスはやめて原点に立ち返って考えてほしい。原発ゼロの明記は日米関係にも打撃を与える。民主党はちょっとおかしい。野田佳彦首相も(仕切れる)姿勢がほしい」

■岡村正・日商会頭
「原発ゼロを目標とする一方、国民負担や高水準の省エネ・再エネの実現可能性などの課題に対する解決策や道筋は明らかにされておらず、到底納得できない。国民生活を守り、日本の経済成長を支えるには原子力発電を一定規模維持することが重要だ」

■長谷川閑史・経済同友会代表幹事
「極めて遺憾。野田政権には失望した。日本で国民生活を支えるのは国産エネルギーの原子力だ。日本企業は世界の原子力技術の最先端を保有しているのに母国でやらないものをメンテナンスしていくのは難しい。政府が決めたものを経済団体がひっくり返せない」(2012.9.15産経)

■青森県六ヶ所村の種市治雄・村商工会副会長
「核燃料サイクル撤退という最悪の事態は免れたが、まだまだ油断できない。経済性や日本のエネルギー問題を考えるとサイクルは不可欠で、政府の判断は拙速だ」

■新潟県の泉田裕彦知事
「福島第一原発事故の検証がされる前に、足元の原発の安全性の議論ではなく、再稼働を前提とした中長期的なエネルギー政策の議論が先に出されていることに違和感を感じる」

■三菱重工業の大宮英明社長
「我々メーカーとしては海外に(原発を)売れるかというと、国内でなくなったものは『買わない』となるだろう。人材も、新しくやろうという人が減ることは間違いない。心配だ」(2012.9.15朝日)

米国は安全保障面で危惧

 「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指す日本の新たなエネルギー戦略について、日本と原子力協定を結ぶ米国では、大幅な方針転換を危ぶむ声が上がる。

 日米原子力協定は、日本が進めてきた核燃料サイクル政策など原子力平和利用に対する米国からの“お墨付き”の側面がある。平成30年に次の改定時期を迎えるが、今後の日本の方向性が不透明なことから、安全保障の専門家は「プルトニウムなど核物質の拡散に対する懸念を理由に、米国との交渉が難航する可能性がある」と指摘する。

 米国は既に、原子力技術が衰退することで安全保障上の問題になりかねないとの懸念を水面下で日本政府に伝達。エネルギー省のポネマン副長官は、訪米した前原誠司民主党政調会長に「柔軟性を残してほしい。負の影響を最小化してほしい」と重ねて要請した。(2012.9.14共同)

支援できる」脱原発のドイツは協力を表明

 「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指すとした日本政府の決定を受け、ドイツ政府報道官は14日の記者会見で、「経験を交換したり、助言したり、互いに支援できる幅広い分野があるだろう」と述べ、「脱原発」の実現に向け、日本と協力していく用意があることを明らかにした。

 ドイツは福島第1原発事故を受け、2022年末までの脱原発を決めている。報道官は脱原発について、「大変な努力のいる課題」とした上、日本からの要請があれば「その経験を伝える」と語った。(2012.9.15産経)


産経が、ドイツの脱原発協力表明について書いてるのを見ると変な感じですが
少しホッとします(笑)



では、ものはついでで、各紙社説です。


東京新聞

政府のエネルギー方針 もっと早く原発ゼロへ


 世界三位の経済大国が原発ゼロを掲げたことは、国際的にも驚きだろう。持続可能な社会をともに目指そう。二〇三〇年代にと言わず、もっと早く。


 「ゼロ」というゴールは、曲がりなりにも示された。意見聴取会やパブリックコメントなどを通じて、国民の過半が選んだ道である。もちろん、平たんではない。消費者も、電力に依存し過ぎた暮らし方を変える必要に迫られている。だが、私たちには受け入れる用意がある。


 全国に五十基ある原発のうち、今動いているのは、関西電力大飯原発3、4号機の二基だけだ。それでも、暑かったことしの夏を乗り切った。私たちは、自信をつけた。二〇三〇年までに原発はゼロにできると。


◆政府決意のあいまい


 今までだれもが、電気を使い過ぎていた。電源立地地域の痛みを思いやることもなく、大量消費を続けてきた。しかし、東京電力福島第一原発の惨状を見て、ようやくそれに気づき始めた。


 日本は世界有数の地震国である。福島はひとごとではありえない。南海トラフだけではない。巨大地震は、いつ、どこで、だれを襲うかわからない。原発の敷地内からは、次々と地震の巣である活断層が見つかっている。


 私たちや子々孫々は、これからもそういう国土と折り合って、暮らし続けていくのである。
 それに比べて、政府の決意はあいまいだ。
 「二〇三〇年代に原発稼働ゼロが可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」という。
 「二〇三〇年代に」という期限の切り方が、そのあいまいさの象徴だ。国民に選択するよう呼びかけたのは「二〇三〇年の原発比率」だったはずではないか。いつの間に、十年の余裕ができたのだろうか。


◆貯蔵プールは満杯に


 全国で最も新しい北海道電力泊原発3号機は、二〇〇九年の年末に運転を開始した。二〇四〇年を越えて運転できる原発は五基しかない。今ある原発をほとんど使い切ろうという計算なのか。
 原発の安全神話は跡形もなく消え去った。すべての原発が何事もなく寿命を終えられるという保証はない。あらゆる政策資源を投入し、可能な限り速やかに、原発をゼロにするのが、多くの国民が希望する新たなエネルギー政策の背骨であるはずだ。


 使用済み核燃料を再利用する核燃料サイクルの位置付けも、極めてあいまいだ。
 原発がゼロになるということは、使用済み核燃料の新たな排出もゼロになるということだ。リサイクルは成り立たない。しかし、使用済み核燃料から、利用可能なウランやプルトニウムを取り出す再処理事業は、当面続けていくという。近い将来「原発ゼロ」が撤回できるよう、含みを残したとも受け取れる。

 再処理燃料を使用する高速増殖原型炉「もんじゅ」は、核燃料サイクルの要である。使用済み核燃料のかさを減らしたり、その害を軽減するために、期限を切って運転を再開する方針だ。
 その後、廃炉にするしかないのだが「もんじゅ」がなければ、核燃料サイクルは成り立たない。再処理も含めて核燃料サイクル計画は、直ちに中止すべきである。


 そうなると、一刻の猶予も許されないのが、使用済み核燃料、極めて危険な電気のごみの処分である。各原発に併設された貯蔵プールが満杯になる日は遠くない。
 地中深くに埋設処分する方針のもと、電気事業者でつくる原子力発電環境整備機構(NUMO)がこの十年間、自治体からの公募による処分場候補地の選定を進めてきた。ところが、まったく進展していない。


 英国やカナダのように政府や自治体が、積極的に事業主体のNUMOと住民との間を取り持って、対話を深め、信頼関係を構築しながら、前へ進めていくべきだ。


◆対立ではなく、協力で


 新戦略の推進には「全ての国民の力を結集することが不可欠である」と政府はうたう。これまでエネルギー政策、特に原子力政策は、「原子力ムラ」と呼ばれる狭い世界の中で、人知れず決められていくきらいがあった。新戦略にあいまいさが残るのも、経済への影響を恐れる産業界や、日本の原子力技術の衰退が、安全保障に影響を及ぼすことなどを憂慮する米国への過剰な配慮があるからだ。


 だがこれからは、新戦略を具体化するにも、市民参加の仕組みが何より大切になるだろう。原発ゼロを達成するということは、社会と暮らしをさらに変えるということだ。持続可能で豊かな社会をともに築くということだ。もう対立のときではない。


朝日新聞

新エネルギー戦略 原発ゼロを確かなものに


 2030年代に「原発ゼロ」を目指す――野田政権は14日、脱原発に向けた新しいエネルギー戦略を決めた。


 茨城県の研究炉に初めて「原子の火」が灯(とも)ったのは、1957年8月。以来、拡大の一途だった日本の原子力政策は、大きな転換点を迎えた。


■再稼働は最小限に


 野田政権は当初、全廃には慎重だったが、最終的に「原発稼働ゼロを可能とする」社会の実現をうたった。原発が抱える問題の大きさを多くの人が深刻に受け止めていることを踏まえての決断を、評価したい。


 とはいえ、脱原発への道筋が明確になったとはいえない。


 新戦略では、新増設をしない▽運転期間40年の厳格適用▽原子力規制委員会が安全性を認めたものだけ再稼働、という3原則を掲げてはいる。


 だが、今ある原発に、単純に40年規制を適用しただけでは、30年1月時点で20基が、40年時点でも5基が残る。
 大地震が起きる可能性が極めて高い地域にある浜岡原発(静岡県)や活断層の影響が懸念される原子炉などへの対応も、あいまいなままだ。


 電力需給の面では、原発事故から2度の夏の経験を経て、最大でも数基の原発を動かせば、乗り切れる見通しが立った。


 再稼働を最小限に抑え、早期の原発ゼロをどう達成するのか。新戦略に盛り込まれた「あらゆる政策資源の投入」を早急に具体化する必要がある。


 そもそも巨額のコストがかかる原子力は、政府の支援や保護なしでは成り立たない。


 今後は、こうした保護・優遇策を停止し、廃炉支援やほかの電源の促進、あるいは立地自治体の経済を構造転換するための制度へと全面的に組み替えなければならない。


 ただ、40年を待たずに閉める炉については、電力会社の経営への影響を緩和する手立ても必要だろう。


 完全に設備を撤去するまでは専門技術や人材も欠かせない。新戦略では、国の責任で対策を講じるとした。たとえば、原発を特定の法人に集約して集中管理する「準国有化」についても議論の対象になろう。


■核燃サイクル凍結を


 問題は、脱原発にかかる経済的、政治的な「コスト」だ。


 火力発電が当面の代替電源となり、燃料費が膨らむ問題は軽視できない。一定の電気料金値上げはやむをえないが、節電の余地を生みにくい中小企業などのことを考えれば限界はある。


 新戦略が指摘するように、官民あげて天然ガスの輸入価格を下げる努力が欠かせない。価格が安い石炭火力についても、二酸化炭素の排出量を減らせる最新技術の実用化へ、支援態勢を充実させたい。地産地消型をはじめとする自然エネルギーの育成は言うまでもない。


 政治的に最大の課題は、核燃料サイクル政策の見直しだ。


 原発ゼロを目ざす以上、使用済み核燃料を再処理する必要はなくなるが、再処理施設を受け入れてきた青森県は廃棄物を押しつけられかねないと猛反発している。原子力協定を結ぶ米国も、安全保障上の問題などから懸念を示しているという。


 しかし、摩擦が大きいからと決断を先送りしていけば、かえって使い道のないプルトニウムや置き場のない放射性廃棄物を増やすことになる。


 まずは事業を凍結し、国が責任をもって後始末にあたるべきだ。青森県や関係各国と協議しながら、使用済み核燃料を保管する中間貯蔵施設の確保に全力をあげる。消費地も含めた国民的な検討の場が必要だ。


■市場の力も活用して


 政界はすでに政権交代で色めきたっている。だが、どの政党が政権につこうとも、原発を減らしたいという国民の意志を無視はできまい。


 では、どのような枠組みを設ければ、脱原発への長期の取り組みが可能になるだろうか。


 一つの案は、法制化だ。原子力基本法の見直しだけでなく、脱原発の理念を明確にした法律があれば、一定の拘束力が生じる。見直しには国会審議が必要となり、透明性も担保される。


 もう一つは、市場の力を活用することだ。


 電力改革を進め、地域独占制を廃止して、発電分野での自由競争を促す。原子力規制委員会は電力会社の懐事情に配慮することなく、安全性に特化した極めて厳格な基準を設ける。


 競争のなかで、安全性確保のための追加投資が経済的に見合わなければ、電力会社の原発依存は自然と減っていく。


 「原発ゼロは現実的でない」という批判がある。しかし、放射性廃棄物の処分先が見つからないこと、原発が巨大なリスクを抱えていること、電力会社が国民の信頼を完全に失ったこと、それこそが現実である。


 簡単ではないが、努力と工夫を重ね、脱原発の道筋を確かなものにしよう。


毎日新聞

原発ゼロ政策 実現への覚悟を持とう


政府が、2030年代に「原発ゼロ」を目指すことを明記した新しいエネルギー・環境戦略をまとめた。東京電力福島第1原発事故を受け、従来の原発拡大路線を180度転換させる意義は大きい。


 もっとも、克服すべき課題への対策は、まだ生煮えだ。「脱原発」を総選挙を意識したかけ声倒れに終わらせないよう、政府は目標までの道筋を具体的に描く必要がある。


 新戦略は、「原発に依存しない社会の一日も早い実現」を目標に掲げた。40年運転制限の厳格適用、安全確認を得た原発の再稼働、新設・増設を行わない、という3原則を示したうえで、「30年代に原発稼働ゼロが可能となるよう、あらゆる政策資源を投入する」とした。


 「脱原発」か「維持・推進」か。国論を二分した議論に、政府が決着をつけたものとして評価したい。国民的議論を踏まえた決定だ。安易な後戻りを許さず、将来への責任を果たすため、国民全体が実現への覚悟を持つ必要があるだろう。


 それには、政府が政策転換に伴う「痛み」を最小限にとどめ、目標を実現するための対策を示して、国民の理解を得ることが前提になる。


 その点、今回の戦略は具体策の大半を先送りしているところに、問題を残す。使用済み核燃料を再処理して、燃料用プルトニウムを取り出す核燃サイクルの継続はその象徴だ。


日本は、既に原爆約4000発分に相当するプルトニウムを保有している。原発をやめるのに、これ以上増やしてどうするのか。大量の使用済み燃料を「中間貯蔵」している青森県や核燃サイクルに関連する米仏英に配慮した結果だが、早急に見直すべきだ。政府は、政策転換を機に、最終処分問題の解決へ本腰を入れる姿勢を明らかにし、青森県などの理解を得るのが筋ではないか。


 原発ゼロに向けて投入するという「あらゆる政策資源」の具体化も急いでほしい。脱原発には、再生可能エネルギーの普及拡大や節電・省エネの促進が欠かせない。そのための規制改革や技術開発への支援策づくりを急ぐよう求めたい。


 電気料金が高騰すれば、国民経済は大きなダメージを受ける。料金抑制には、電力事業への競争原理導入が不可欠だ。政府は、電力小売りの完全自由化や発送電分離などのシステム改革案を年末までに策定するという。供給不安を招かずに競争が実現するよう、海外の先例も参考に制度設計を工夫してほしい。


 国民の理解と協力がなければ、「原発ゼロ」は絵に描いた餅に終わりかねない。政府は、現在そして将来の国民のために、説得力のある政策を示す責任がある。


日本経済新聞

国益を損なう「原発ゼロ」には異議がある

 政府は「2030年代に原子力発電所の稼働をゼロ」とするエネルギー・環境戦略を決めた。「原発ゼロ」には改めて異議を唱えたい。原子力政策に協力してきた青森県などへの説明を後回しにした決め方にも問題がある。


 新しい戦略はエネルギー政策の歴史的な転換を意味する重い決定のはずだが、土壇場で見せた政府の判断の軽さにはあきれる。そこには国の安全保障と国民生活の将来について責任をもって考え抜く姿勢があったようにはみえない。ただ政策の辻つま合わせに終始したのではないか。


 青森県は長年、国の核燃料サイクル政策に協力し各地の原発から使用済み核燃料を受け入れてきた。また米英仏などとは濃縮ウランの供給や使用済み核燃料の再処理委託で協力関係を築いてきた。政府はこうした関係者との意思疎通を怠った。青森県の立場をないがしろにし海外の不信を買った。


 間際になってぶつけられた異論や懸念を踏まえて調整した結果、エネルギー戦略はつぎはぎだらけで一貫性を欠く。「原発ゼロ」目標と、核燃料をリサイクルする再処理事業の継続は政策的な矛盾の最たるものだ。選挙を控え「原発ゼロ」を打ち出したい打算が政策判断をゆがめている。


 福島第1原発事故を経て原子力への依存は減る。しかし原子力の放棄は賢明ではない。資源小国の日本は積極的に原発を導入し、石油危機以降は、原子力と天然ガス火力などを組み合わせ脱石油依存の道を歩んだ。


 今は自然エネルギーをもうひとつの柱として伸ばし、電力の安定供給と温暖化ガスの排出削減をともに実現すべき時だ。原子力の維持は国民生活や産業の安定をかなえる有用な選択肢だ。かつての化石燃料依存に戻るのはいけない。


 廃炉と放射性廃棄物の処分は、「原発ゼロ」でも避けられない課題だ。原発維持を通じて優秀な人材と技術を育て保つことが不可欠だ。いったん散逸した人材や技術は容易には戻らない。


 世界では多くの国が原発を建てようとしている。原子力安全や核不拡散のため日米間のより緊密な連携が必要な時でもある。「原発ゼロ」は日米協力に影を落としかねず、国際関係への思慮を欠く。


 「原発ゼロ」で技術人材や国際的信頼などが回復できないまでに失われないか心配だ。国益を損なう選択と言わざるを得ない。


読売新聞

エネルギー選択 「原発ゼロ」は戦略に値しない


◆経済・雇用への打撃軽視するな◆


 電力を安定的に確保するための具体策も描かずに、「原子力発電ゼロ」を掲げたのは、極めて無責任である。

 政府は「原発ゼロ」の方針を撤回し、現実的なエネルギー政策を示すべきだ。

 政府のエネルギー・環境会議が、「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指す「革新的エネルギー・環境戦略」をまとめた。

 原発の新増設を認めず、運転開始から40年での廃炉を厳格に適用していくという。


◆肝心な部分は生煮え◆


 古川国家戦略相は記者会見で、「原子力に関する問題点を先送りせず、真摯に取り組む姿勢を示した」などと意義を強調した。

 しかし、東京電力福島第一原発の事故を受けて抜本的に見直すとしていた将来の電源構成については、全体像を示せなかった。

 こんな生煮えの“粗案”では、国家のエネルギー戦略に値しないと言えよう。

 太陽光や風力など再生可能エネルギーの比率を、現在の約1割から3割に増やすとしているが、肝心の実現策は年末に先送りした。

 原発の代替電源を確保する方策の中身も詰めずに、約20年先の「原発ゼロ」だけを決めるのは乱暴だ。

 次期衆院選を前に「脱原発」の旗印を鮮明にした方が民主党に有利になる、と計算したに過ぎないのではないのか。初めに結論ありきと言われても仕方あるまい。

 有識者会議による検討結果や経済界からの指摘に対応していないのも問題である。

 各種の試算は、「原発ゼロ」にするには、再生エネ拡大に50兆円、省エネに100兆円を要するとしていた。国内総生産(GDP)は50兆円近く落ち込み、失業者も200万人増加する見通しだ。

 だが「戦略」には、「あらゆる政策資源を投入する」とあるだけで、課題の解決策がない。

 経団連の米倉弘昌会長は、「原発ゼロ」方針について、「雇用の維持に必死に頑張っている産業界としては、とても了承できない。まさに成長戦略に逆行している」などと、厳しく批判した。

 電力不足と生産コストの上昇で産業空洞化が加速し、国民生活が脅かされかねないためだ。


◆矛盾だらけの内容◆


 現在、全原発50基のうち48基が定期検査の終了後も再稼働できない状況が続いている。

 火力発電の燃料費が年3兆円も余計にかかっている。このままでは東電以外の電力会社も電力料金の値上げが避けられない。

 火力発電の比率が高まれば、政治的に不安定な中東に多くのエネルギーを依存する状況も続く。

 「戦略」が、安全性を確認できた原発を重要電源として活用する方針を示したのは妥当である。電力安定供給のため、政府は再稼働の実現に努めねばならない。

 それなのに政府は「原発ゼロ」をうたい、わざわざ再稼働に対する地元の理解取り付けを困難にした。ちぐはぐな対応だ。関西電力大飯原発の再稼働を容認した福井県の西川一誠知事も、政府の方針転換に不信感を表明している。

 核燃料サイクル政策を継続しながら「原発ゼロ」を目指すというのは、明らかな矛盾である。

 これでは、再処理で作った核燃料の使い道がなくなる。

 国策の核燃サイクルに協力してきた青森県からは、使用済み核燃料の受け入れ拒否を求める声も出ている。不誠実な政府方針に対する青森県の怒りはもっともだ。

 青森県が協力を拒否すれば、使用済み核燃料の保管場所がなくなり、各地の原発は早晩、運転を続けることはできなくなろう。

 さらに、原子力の技術者になる人材が激減し、原発の安全性向上や、今後の廃炉作業に支障をきたす恐れもある。


◆日米同盟に悪影響も◆


 日本が核燃料の再処理を委託している英仏両国も、日本企業が持つ原発技術に期待する米国も、強い懸念を示している。

 米国は日米原子力協定に基づく特別な権利として、日本に使用済み核燃料の再処理を認めている。「原発ゼロ」を理由に、日本は再処理の権利を失いかねない。

 米国が、アジアにおける核安全保障政策のパートナーと位置づける日本の地位低下も心配だ。

 日本が原発を完全に放棄すれば、引き続き原発増設を図る中国や韓国の存在感が東アジアで高まる。日米の同盟関係にも悪影響は避けられまい。

 国際社会との関係抜きに、日本のエネルギー政策は成り立たないことを、政府は自覚すべきだ。


産経新聞

原発ゼロ政策 即時撤回して「25%超」に 世界で孤立し責任果たせぬ


 現実を直視せず、十分な検討も経ることなくまとめられた「空論」というほかない。

 政府は日本の新エネルギー計画の指針となる「革新的エネルギー・環境戦略」を決定した。「2030年代に原発稼働ゼロ」の実現を目指すことなどが柱だ。

 野田佳彦首相は「困難でも課題を先送りすることはできない」と述べたが、これに従って政策の舵(かじ)を切れば、エネルギー不足の日本は亡国の淵(ふち)に向かって漂流する。速やかに撤回すべきだ。


≪日本を没落させる空論≫


 エネルギーに事欠く国や文明は存続し得ない。歴史が証明してきた自明の法則だ。大飯原発の再稼働に当たり、野田首相は自ら「原子力発電を今止めてしまっては、また、止めたままでは、日本の社会は立ちゆかない」と宣言していた。あれは何だったのか。

 民主党政権の原発政策は、近づく衆院選を意識するあまりの無責任な迎合だ。20年後の日本社会と国民を犠牲にして党利党略に走る姿勢は許されない。

 民主党政権が描いたエネルギー・環境戦略には、国際的な視座が完全に欠落している。非核保有国でありながら、唯一使用済み核燃料の再処理を認められている日本の立場と責務を、野田首相をはじめ政権中枢部の政治家は誰一人、理解していなかったとみえる。

 日米原子力協定を結んでいる米国へも原発政策の満足な説明をしていなかった。日本が原発の使用済み燃料の再処理を委託している英仏両国も唐突感のある原発ゼロ路線に戸惑いを隠さない。

 千年に1度の大津波で、福島第1原子力発電所は炉心溶融事故に至ったが、日本の原発技術に対する世界の信頼は依然として高い。その日本が原子力発電から撤退すれば、新規導入を目指している途上国などのエネルギー計画は大きな狂いが生じる。

 途上国が地球温暖化と資源問題に配慮しつつ経済発展を遂げようとすれば、原発は不可欠のエネルギー源である。

 民主党政権は、将来のエネルギーシナリオを国民に問うたとき、最終的には「原発比率15%」でまとまると踏んでいた。しかし、意見聴取会で電力会社の社員の声を除外するなどした結果、世論はゼロに傾き、偏った。それに党内の反原発派が雷同し、収拾不能の現状に陥ったのだ。

 このまま原発ゼロ路線を修正しなければ、貴重なエネルギーだけでなく、日本が構築してきた原発技術に対する世界の信用も失うことになる。

 民主党政権の認識不足は、国内対応においても著しい。

 核燃料サイクルは、長年にわたって日本のエネルギー政策の中核として位置づけられてきた。


≪核燃料対策は泥縄式だ≫


 にもかかわらず、そのための主要施設である再処理工場や中間貯蔵施設が立地する青森県の六ケ所村、むつ市に対して十分な説明をしないまま、原発ゼロへの議論を机上で進めた。

 地元の反発に「使用済み核燃料の再処理事業は継続する」との方針を示したが、そもそも原発ゼロなら再処理事業に将来性はない。長期的には大いなる矛盾だ。

 再処理事業の確実な実施が困難になった場合には、かねての協定に基づき、再処理工場の貯蔵プールに置かれている大量の使用済み燃料は、発生元の各原発に返却されることになっている。

 政府は「安全性が確認された原発は当面、重要電源として活用する」としているが、使用済み燃料が戻されると原発の再稼働そのものが成り立たない。

 冷静に状況を判断すれば原発ゼロは不可能だ。野田首相は政治判断を下し、経済界などが主張するように、最低でも25%以上の選択をすべきである。国家百年の計に属する重大事項だ。

 一時的には非難の声を浴びるとしても、国の舵を正しい方向に切るのが首相としての責務である。「国民の過半が望んだこと」として、責任を大衆に押しつける姿勢は無責任にすぎよう。

 「失われた20年」に「エネルギー喪失の20年」を継ぎ足す愚行は何としても避けたい。将来世代のためにも、日本を没落させる道を進んではならない。原発のリスクは否定できないが、原発ゼロのリスクは限りなく大きい。国民も現状の危うさに目を覚ますべきときである。


今回の政府の「エネ環戦略」の矛盾を叩いて批判するのは簡単だと思うんです。
でも、日経以下を読んで思ったんですけど、
じゃあ、どんな社会を目指したいのかってのが見えないんですよね。
脱原発には曲がりなりにも原発ゼロ、脱原発依存という
目標、夢、願望があるわけじゃないですか。


原発維持派が描く未来はどんなものなんでしょう?
現状維持っていうのもツラいと思うんだよね。
原発がズルズル増えていって、最終処分場が見つかるかどうかわかんないけど
何万年もつきあわなきゃいけない放射性廃棄物が
ドンドン増えていく現状維持でしょ。
真綿で首を絞められるような苦しさがあると思うんだけどなあ。
原子力なんか人間の手でコントロールできるようになるぜ!の超ポジティブか
豊かな文明と引き換えに破滅のリスクを負うのは仕方が無いだろ!の開き直りか
どちらかじゃないと、原発とつきあってられないと思うんだけど。
(ま、実質僕らは後者で暮らしてると思うし)
淡々と原発のリスクと正面から向き合った社会ってありうるのかな。


希望、妄想あってこその人間でしょ。
逆説的な言い方だけど
現時点では現実的ではない原発ゼロを、今のうちに目指したほうが
50年100年スパンでは、人間として現実的ではないでしょうか?