チャンネルJのJはJapanのJ?JournalistのJ?

旧タイトル「労働組合ひとり」。チャンネルJという朝日新聞OBが作った原発ムラの末端の末端くらいの会社で、ひとりで労働組合に入って活動してたら解雇されました。もともと労働組合を通して会社と戦う話のつもりだったのですが、紆余曲折ありまして。。。あくまで原発問題は脇筋です。ただ、天下国家を偉そうに語る連中の姑息なインチキがムカつくので、今も盾突いてます。

「エネ環戦略」閣議決定せず


政府は2030年代に原発稼働ゼロを目指すとした
「革新的エネルギー・環境戦略」の閣議決定を見送った。


トホホな感じであります。


19日の閣議で決定した全文はこちらであります。

今後のエネルギー・環境政策については、「革新的エネルギー・環境戦略」(平成24年9月14日エネルギー・環境会議決定)を踏まえて、関係自治体や国際社会等と責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ、柔軟性を持って不断の検証 と見直しを行いながら遂行する。

閣議決定とは

予算案、法案の国会提出、条約公布など国政の重要事項について、内閣全体で意思決定すること。決定事項はそのまま政府方針となり、すべての閣僚、府省は従わなくてはならない。政権が代わっても、新たな閣議決定をしない限り、拘束力は続く。

ということらしく
「30年代に原発ゼロ」は閣議決定しなかったので、政権が変われば拘束力は無い
ということになるようなのです。


けど、野田首相は報道ステーションで
「30年代に原発ゼロはぶれない目標」と力説しておりました…
 

「国民の声を踏まえて30年代の原発ゼロを目指すというのはぶれない目標で、閣議決定している。大方針と今後のプロセスは間違いなく閣議決定したとご理解いただきたい」。野田佳彦首相は19日のテレビ朝日の番組で、戦略の文書そのものを閣議決定しなかったことで「原発ゼロが後退した」との見方が広がっていることに反論。閣議決定した文書では「戦略を踏まえて、エネルギー環境政策を遂行する」としており、あいまいさはないとの考えを示した。


 枝野幸男経済産業相も19日の記者会見で「(戦略を決めた)14日の段階で、この形式だと聞いていた。(米国などからの圧力は)働いていない」と述べ、原発ゼロ方針がぶれた結果、閣議決定を見送ったとの指摘を否定した。(2012.9.20毎日)

しかし、世間はそうは捉えるはずもなく

野田政権が、原発ゼロを目指す新しいエネルギー戦略の閣議決定を見送った。
まことに情けない。(朝日社説)

首相に原発稼働ゼロを実現する強い決意があるのなら、こんな結末にはならなかったはずだ。(東京社説)

こんな決着では、「原子力発電ゼロ」を見直すのか、それとも強行するのか、あいまいだ。(読売社説)

両サイドから叩かれております。

 閣議決定文に、原発ゼロ▽新増設はしない▽運転期間を40年に限るルールを厳格に適用する − との方針が盛り込まれなかったことが、「原発ゼロ目標が揺らいでいる」との見方につながっているのも事実だ。
 原発ゼロを批判していた長谷川閑史・経済同友会代表幹事は19日の記者会見で「(原発ゼロ撤回の)余地を残したことは良かった」と述べた。経団連の米倉弘昌会長は記者団に「原発ゼロを回避できた」との認識を示した。(2012.9.20毎日)

と、財界の思惑通り。




この先、どうなるのかというと
 

今後は、将来の日本のエネルギー政策の道筋を定めるエネルギー基本計画の行方が焦点となる。新戦略の理念を基に具体的な政策を示す基本計画は閣議で決定する必要があるためだ。


 政府は10月上旬にも計画をとりまとめる方針だった。しかし、基本計画を議論する経産省の総合資源エネルギー調査会基本問題委員会で18日、委員長を務める三村明夫・新日本製鉄会長は「政府の方針があいまいなままでは、議論ができない」と、とりまとめ作業を中断する意向を表明した。


 新戦略では、再生可能エネルギーの普及や地球温暖化対策などについての具体策を今年の年末以降にまとめると予定してるが、基本計画自体が決まらない状態では、原子力政策のあり方など課題がさらに棚上げされる可能性もある。(2012.9.20読売)


う〜ん。
脱原発にせよ原発維持にせよ、何でこう議論がしっかりぶつかり合わずに
ズルズルと物事が推移してしまうのだろう…




 

革新的エネルギー・環境戦略

9月14日、政府は2030年代の原発稼働ゼロを明記した
革新的エネルギー・環境戦略」を決定しました。


原発ゼロなのに核燃料サイクル政策は継続など、矛盾を含んだ内容で
脱原発側、原発推進側、両方から批判されておりますが
各新聞の社説を見ると、見出しだけで、各紙の立ち位置がわかって面白いです。


東京…もっと早く原発ゼロへ
朝日…原発ゼロを確かなものに
毎日…原発ゼロ政策 実現への覚悟を持とう
日経…国益を損なう「原発ゼロ」には異議がある
読売…「原発ゼロ」は戦略に値しない
産経…原発ゼロ政策 即時撤回して「25%超」に 世界で孤立し責任果たせぬ


東京新聞から産経新聞までグラデーションがしっかりできてる気がするよね。


で、ここまできたら、社説の中身も見たい感じですけど、長いので後回しにして
目についた各界の反応を書き留めておこうと思います。

■米倉弘昌・経団連会長 
「日本経済は壊滅的な状況になる。日本脱出を一生懸命考える企業が出てくるだろう。アンチ(反)ビジネスはやめて原点に立ち返って考えてほしい。原発ゼロの明記は日米関係にも打撃を与える。民主党はちょっとおかしい。野田佳彦首相も(仕切れる)姿勢がほしい」

■岡村正・日商会頭
「原発ゼロを目標とする一方、国民負担や高水準の省エネ・再エネの実現可能性などの課題に対する解決策や道筋は明らかにされておらず、到底納得できない。国民生活を守り、日本の経済成長を支えるには原子力発電を一定規模維持することが重要だ」

■長谷川閑史・経済同友会代表幹事
「極めて遺憾。野田政権には失望した。日本で国民生活を支えるのは国産エネルギーの原子力だ。日本企業は世界の原子力技術の最先端を保有しているのに母国でやらないものをメンテナンスしていくのは難しい。政府が決めたものを経済団体がひっくり返せない」(2012.9.15産経)

■青森県六ヶ所村の種市治雄・村商工会副会長
「核燃料サイクル撤退という最悪の事態は免れたが、まだまだ油断できない。経済性や日本のエネルギー問題を考えるとサイクルは不可欠で、政府の判断は拙速だ」

■新潟県の泉田裕彦知事
「福島第一原発事故の検証がされる前に、足元の原発の安全性の議論ではなく、再稼働を前提とした中長期的なエネルギー政策の議論が先に出されていることに違和感を感じる」

■三菱重工業の大宮英明社長
「我々メーカーとしては海外に(原発を)売れるかというと、国内でなくなったものは『買わない』となるだろう。人材も、新しくやろうという人が減ることは間違いない。心配だ」(2012.9.15朝日)

米国は安全保障面で危惧

 「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指す日本の新たなエネルギー戦略について、日本と原子力協定を結ぶ米国では、大幅な方針転換を危ぶむ声が上がる。

 日米原子力協定は、日本が進めてきた核燃料サイクル政策など原子力平和利用に対する米国からの“お墨付き”の側面がある。平成30年に次の改定時期を迎えるが、今後の日本の方向性が不透明なことから、安全保障の専門家は「プルトニウムなど核物質の拡散に対する懸念を理由に、米国との交渉が難航する可能性がある」と指摘する。

 米国は既に、原子力技術が衰退することで安全保障上の問題になりかねないとの懸念を水面下で日本政府に伝達。エネルギー省のポネマン副長官は、訪米した前原誠司民主党政調会長に「柔軟性を残してほしい。負の影響を最小化してほしい」と重ねて要請した。(2012.9.14共同)

支援できる」脱原発のドイツは協力を表明

 「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指すとした日本政府の決定を受け、ドイツ政府報道官は14日の記者会見で、「経験を交換したり、助言したり、互いに支援できる幅広い分野があるだろう」と述べ、「脱原発」の実現に向け、日本と協力していく用意があることを明らかにした。

 ドイツは福島第1原発事故を受け、2022年末までの脱原発を決めている。報道官は脱原発について、「大変な努力のいる課題」とした上、日本からの要請があれば「その経験を伝える」と語った。(2012.9.15産経)


産経が、ドイツの脱原発協力表明について書いてるのを見ると変な感じですが
少しホッとします(笑)



では、ものはついでで、各紙社説です。


東京新聞

政府のエネルギー方針 もっと早く原発ゼロへ


 世界三位の経済大国が原発ゼロを掲げたことは、国際的にも驚きだろう。持続可能な社会をともに目指そう。二〇三〇年代にと言わず、もっと早く。


 「ゼロ」というゴールは、曲がりなりにも示された。意見聴取会やパブリックコメントなどを通じて、国民の過半が選んだ道である。もちろん、平たんではない。消費者も、電力に依存し過ぎた暮らし方を変える必要に迫られている。だが、私たちには受け入れる用意がある。


 全国に五十基ある原発のうち、今動いているのは、関西電力大飯原発3、4号機の二基だけだ。それでも、暑かったことしの夏を乗り切った。私たちは、自信をつけた。二〇三〇年までに原発はゼロにできると。


◆政府決意のあいまい


 今までだれもが、電気を使い過ぎていた。電源立地地域の痛みを思いやることもなく、大量消費を続けてきた。しかし、東京電力福島第一原発の惨状を見て、ようやくそれに気づき始めた。


 日本は世界有数の地震国である。福島はひとごとではありえない。南海トラフだけではない。巨大地震は、いつ、どこで、だれを襲うかわからない。原発の敷地内からは、次々と地震の巣である活断層が見つかっている。


 私たちや子々孫々は、これからもそういう国土と折り合って、暮らし続けていくのである。
 それに比べて、政府の決意はあいまいだ。
 「二〇三〇年代に原発稼働ゼロが可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」という。
 「二〇三〇年代に」という期限の切り方が、そのあいまいさの象徴だ。国民に選択するよう呼びかけたのは「二〇三〇年の原発比率」だったはずではないか。いつの間に、十年の余裕ができたのだろうか。


◆貯蔵プールは満杯に


 全国で最も新しい北海道電力泊原発3号機は、二〇〇九年の年末に運転を開始した。二〇四〇年を越えて運転できる原発は五基しかない。今ある原発をほとんど使い切ろうという計算なのか。
 原発の安全神話は跡形もなく消え去った。すべての原発が何事もなく寿命を終えられるという保証はない。あらゆる政策資源を投入し、可能な限り速やかに、原発をゼロにするのが、多くの国民が希望する新たなエネルギー政策の背骨であるはずだ。


 使用済み核燃料を再利用する核燃料サイクルの位置付けも、極めてあいまいだ。
 原発がゼロになるということは、使用済み核燃料の新たな排出もゼロになるということだ。リサイクルは成り立たない。しかし、使用済み核燃料から、利用可能なウランやプルトニウムを取り出す再処理事業は、当面続けていくという。近い将来「原発ゼロ」が撤回できるよう、含みを残したとも受け取れる。

 再処理燃料を使用する高速増殖原型炉「もんじゅ」は、核燃料サイクルの要である。使用済み核燃料のかさを減らしたり、その害を軽減するために、期限を切って運転を再開する方針だ。
 その後、廃炉にするしかないのだが「もんじゅ」がなければ、核燃料サイクルは成り立たない。再処理も含めて核燃料サイクル計画は、直ちに中止すべきである。


 そうなると、一刻の猶予も許されないのが、使用済み核燃料、極めて危険な電気のごみの処分である。各原発に併設された貯蔵プールが満杯になる日は遠くない。
 地中深くに埋設処分する方針のもと、電気事業者でつくる原子力発電環境整備機構(NUMO)がこの十年間、自治体からの公募による処分場候補地の選定を進めてきた。ところが、まったく進展していない。


 英国やカナダのように政府や自治体が、積極的に事業主体のNUMOと住民との間を取り持って、対話を深め、信頼関係を構築しながら、前へ進めていくべきだ。


◆対立ではなく、協力で


 新戦略の推進には「全ての国民の力を結集することが不可欠である」と政府はうたう。これまでエネルギー政策、特に原子力政策は、「原子力ムラ」と呼ばれる狭い世界の中で、人知れず決められていくきらいがあった。新戦略にあいまいさが残るのも、経済への影響を恐れる産業界や、日本の原子力技術の衰退が、安全保障に影響を及ぼすことなどを憂慮する米国への過剰な配慮があるからだ。


 だがこれからは、新戦略を具体化するにも、市民参加の仕組みが何より大切になるだろう。原発ゼロを達成するということは、社会と暮らしをさらに変えるということだ。持続可能で豊かな社会をともに築くということだ。もう対立のときではない。


朝日新聞

新エネルギー戦略 原発ゼロを確かなものに


 2030年代に「原発ゼロ」を目指す――野田政権は14日、脱原発に向けた新しいエネルギー戦略を決めた。


 茨城県の研究炉に初めて「原子の火」が灯(とも)ったのは、1957年8月。以来、拡大の一途だった日本の原子力政策は、大きな転換点を迎えた。


■再稼働は最小限に


 野田政権は当初、全廃には慎重だったが、最終的に「原発稼働ゼロを可能とする」社会の実現をうたった。原発が抱える問題の大きさを多くの人が深刻に受け止めていることを踏まえての決断を、評価したい。


 とはいえ、脱原発への道筋が明確になったとはいえない。


 新戦略では、新増設をしない▽運転期間40年の厳格適用▽原子力規制委員会が安全性を認めたものだけ再稼働、という3原則を掲げてはいる。


 だが、今ある原発に、単純に40年規制を適用しただけでは、30年1月時点で20基が、40年時点でも5基が残る。
 大地震が起きる可能性が極めて高い地域にある浜岡原発(静岡県)や活断層の影響が懸念される原子炉などへの対応も、あいまいなままだ。


 電力需給の面では、原発事故から2度の夏の経験を経て、最大でも数基の原発を動かせば、乗り切れる見通しが立った。


 再稼働を最小限に抑え、早期の原発ゼロをどう達成するのか。新戦略に盛り込まれた「あらゆる政策資源の投入」を早急に具体化する必要がある。


 そもそも巨額のコストがかかる原子力は、政府の支援や保護なしでは成り立たない。


 今後は、こうした保護・優遇策を停止し、廃炉支援やほかの電源の促進、あるいは立地自治体の経済を構造転換するための制度へと全面的に組み替えなければならない。


 ただ、40年を待たずに閉める炉については、電力会社の経営への影響を緩和する手立ても必要だろう。


 完全に設備を撤去するまでは専門技術や人材も欠かせない。新戦略では、国の責任で対策を講じるとした。たとえば、原発を特定の法人に集約して集中管理する「準国有化」についても議論の対象になろう。


■核燃サイクル凍結を


 問題は、脱原発にかかる経済的、政治的な「コスト」だ。


 火力発電が当面の代替電源となり、燃料費が膨らむ問題は軽視できない。一定の電気料金値上げはやむをえないが、節電の余地を生みにくい中小企業などのことを考えれば限界はある。


 新戦略が指摘するように、官民あげて天然ガスの輸入価格を下げる努力が欠かせない。価格が安い石炭火力についても、二酸化炭素の排出量を減らせる最新技術の実用化へ、支援態勢を充実させたい。地産地消型をはじめとする自然エネルギーの育成は言うまでもない。


 政治的に最大の課題は、核燃料サイクル政策の見直しだ。


 原発ゼロを目ざす以上、使用済み核燃料を再処理する必要はなくなるが、再処理施設を受け入れてきた青森県は廃棄物を押しつけられかねないと猛反発している。原子力協定を結ぶ米国も、安全保障上の問題などから懸念を示しているという。


 しかし、摩擦が大きいからと決断を先送りしていけば、かえって使い道のないプルトニウムや置き場のない放射性廃棄物を増やすことになる。


 まずは事業を凍結し、国が責任をもって後始末にあたるべきだ。青森県や関係各国と協議しながら、使用済み核燃料を保管する中間貯蔵施設の確保に全力をあげる。消費地も含めた国民的な検討の場が必要だ。


■市場の力も活用して


 政界はすでに政権交代で色めきたっている。だが、どの政党が政権につこうとも、原発を減らしたいという国民の意志を無視はできまい。


 では、どのような枠組みを設ければ、脱原発への長期の取り組みが可能になるだろうか。


 一つの案は、法制化だ。原子力基本法の見直しだけでなく、脱原発の理念を明確にした法律があれば、一定の拘束力が生じる。見直しには国会審議が必要となり、透明性も担保される。


 もう一つは、市場の力を活用することだ。


 電力改革を進め、地域独占制を廃止して、発電分野での自由競争を促す。原子力規制委員会は電力会社の懐事情に配慮することなく、安全性に特化した極めて厳格な基準を設ける。


 競争のなかで、安全性確保のための追加投資が経済的に見合わなければ、電力会社の原発依存は自然と減っていく。


 「原発ゼロは現実的でない」という批判がある。しかし、放射性廃棄物の処分先が見つからないこと、原発が巨大なリスクを抱えていること、電力会社が国民の信頼を完全に失ったこと、それこそが現実である。


 簡単ではないが、努力と工夫を重ね、脱原発の道筋を確かなものにしよう。


毎日新聞

原発ゼロ政策 実現への覚悟を持とう


政府が、2030年代に「原発ゼロ」を目指すことを明記した新しいエネルギー・環境戦略をまとめた。東京電力福島第1原発事故を受け、従来の原発拡大路線を180度転換させる意義は大きい。


 もっとも、克服すべき課題への対策は、まだ生煮えだ。「脱原発」を総選挙を意識したかけ声倒れに終わらせないよう、政府は目標までの道筋を具体的に描く必要がある。


 新戦略は、「原発に依存しない社会の一日も早い実現」を目標に掲げた。40年運転制限の厳格適用、安全確認を得た原発の再稼働、新設・増設を行わない、という3原則を示したうえで、「30年代に原発稼働ゼロが可能となるよう、あらゆる政策資源を投入する」とした。


 「脱原発」か「維持・推進」か。国論を二分した議論に、政府が決着をつけたものとして評価したい。国民的議論を踏まえた決定だ。安易な後戻りを許さず、将来への責任を果たすため、国民全体が実現への覚悟を持つ必要があるだろう。


 それには、政府が政策転換に伴う「痛み」を最小限にとどめ、目標を実現するための対策を示して、国民の理解を得ることが前提になる。


 その点、今回の戦略は具体策の大半を先送りしているところに、問題を残す。使用済み核燃料を再処理して、燃料用プルトニウムを取り出す核燃サイクルの継続はその象徴だ。


日本は、既に原爆約4000発分に相当するプルトニウムを保有している。原発をやめるのに、これ以上増やしてどうするのか。大量の使用済み燃料を「中間貯蔵」している青森県や核燃サイクルに関連する米仏英に配慮した結果だが、早急に見直すべきだ。政府は、政策転換を機に、最終処分問題の解決へ本腰を入れる姿勢を明らかにし、青森県などの理解を得るのが筋ではないか。


 原発ゼロに向けて投入するという「あらゆる政策資源」の具体化も急いでほしい。脱原発には、再生可能エネルギーの普及拡大や節電・省エネの促進が欠かせない。そのための規制改革や技術開発への支援策づくりを急ぐよう求めたい。


 電気料金が高騰すれば、国民経済は大きなダメージを受ける。料金抑制には、電力事業への競争原理導入が不可欠だ。政府は、電力小売りの完全自由化や発送電分離などのシステム改革案を年末までに策定するという。供給不安を招かずに競争が実現するよう、海外の先例も参考に制度設計を工夫してほしい。


 国民の理解と協力がなければ、「原発ゼロ」は絵に描いた餅に終わりかねない。政府は、現在そして将来の国民のために、説得力のある政策を示す責任がある。


日本経済新聞

国益を損なう「原発ゼロ」には異議がある

 政府は「2030年代に原子力発電所の稼働をゼロ」とするエネルギー・環境戦略を決めた。「原発ゼロ」には改めて異議を唱えたい。原子力政策に協力してきた青森県などへの説明を後回しにした決め方にも問題がある。


 新しい戦略はエネルギー政策の歴史的な転換を意味する重い決定のはずだが、土壇場で見せた政府の判断の軽さにはあきれる。そこには国の安全保障と国民生活の将来について責任をもって考え抜く姿勢があったようにはみえない。ただ政策の辻つま合わせに終始したのではないか。


 青森県は長年、国の核燃料サイクル政策に協力し各地の原発から使用済み核燃料を受け入れてきた。また米英仏などとは濃縮ウランの供給や使用済み核燃料の再処理委託で協力関係を築いてきた。政府はこうした関係者との意思疎通を怠った。青森県の立場をないがしろにし海外の不信を買った。


 間際になってぶつけられた異論や懸念を踏まえて調整した結果、エネルギー戦略はつぎはぎだらけで一貫性を欠く。「原発ゼロ」目標と、核燃料をリサイクルする再処理事業の継続は政策的な矛盾の最たるものだ。選挙を控え「原発ゼロ」を打ち出したい打算が政策判断をゆがめている。


 福島第1原発事故を経て原子力への依存は減る。しかし原子力の放棄は賢明ではない。資源小国の日本は積極的に原発を導入し、石油危機以降は、原子力と天然ガス火力などを組み合わせ脱石油依存の道を歩んだ。


 今は自然エネルギーをもうひとつの柱として伸ばし、電力の安定供給と温暖化ガスの排出削減をともに実現すべき時だ。原子力の維持は国民生活や産業の安定をかなえる有用な選択肢だ。かつての化石燃料依存に戻るのはいけない。


 廃炉と放射性廃棄物の処分は、「原発ゼロ」でも避けられない課題だ。原発維持を通じて優秀な人材と技術を育て保つことが不可欠だ。いったん散逸した人材や技術は容易には戻らない。


 世界では多くの国が原発を建てようとしている。原子力安全や核不拡散のため日米間のより緊密な連携が必要な時でもある。「原発ゼロ」は日米協力に影を落としかねず、国際関係への思慮を欠く。


 「原発ゼロ」で技術人材や国際的信頼などが回復できないまでに失われないか心配だ。国益を損なう選択と言わざるを得ない。


読売新聞

エネルギー選択 「原発ゼロ」は戦略に値しない


◆経済・雇用への打撃軽視するな◆


 電力を安定的に確保するための具体策も描かずに、「原子力発電ゼロ」を掲げたのは、極めて無責任である。

 政府は「原発ゼロ」の方針を撤回し、現実的なエネルギー政策を示すべきだ。

 政府のエネルギー・環境会議が、「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指す「革新的エネルギー・環境戦略」をまとめた。

 原発の新増設を認めず、運転開始から40年での廃炉を厳格に適用していくという。


◆肝心な部分は生煮え◆


 古川国家戦略相は記者会見で、「原子力に関する問題点を先送りせず、真摯に取り組む姿勢を示した」などと意義を強調した。

 しかし、東京電力福島第一原発の事故を受けて抜本的に見直すとしていた将来の電源構成については、全体像を示せなかった。

 こんな生煮えの“粗案”では、国家のエネルギー戦略に値しないと言えよう。

 太陽光や風力など再生可能エネルギーの比率を、現在の約1割から3割に増やすとしているが、肝心の実現策は年末に先送りした。

 原発の代替電源を確保する方策の中身も詰めずに、約20年先の「原発ゼロ」だけを決めるのは乱暴だ。

 次期衆院選を前に「脱原発」の旗印を鮮明にした方が民主党に有利になる、と計算したに過ぎないのではないのか。初めに結論ありきと言われても仕方あるまい。

 有識者会議による検討結果や経済界からの指摘に対応していないのも問題である。

 各種の試算は、「原発ゼロ」にするには、再生エネ拡大に50兆円、省エネに100兆円を要するとしていた。国内総生産(GDP)は50兆円近く落ち込み、失業者も200万人増加する見通しだ。

 だが「戦略」には、「あらゆる政策資源を投入する」とあるだけで、課題の解決策がない。

 経団連の米倉弘昌会長は、「原発ゼロ」方針について、「雇用の維持に必死に頑張っている産業界としては、とても了承できない。まさに成長戦略に逆行している」などと、厳しく批判した。

 電力不足と生産コストの上昇で産業空洞化が加速し、国民生活が脅かされかねないためだ。


◆矛盾だらけの内容◆


 現在、全原発50基のうち48基が定期検査の終了後も再稼働できない状況が続いている。

 火力発電の燃料費が年3兆円も余計にかかっている。このままでは東電以外の電力会社も電力料金の値上げが避けられない。

 火力発電の比率が高まれば、政治的に不安定な中東に多くのエネルギーを依存する状況も続く。

 「戦略」が、安全性を確認できた原発を重要電源として活用する方針を示したのは妥当である。電力安定供給のため、政府は再稼働の実現に努めねばならない。

 それなのに政府は「原発ゼロ」をうたい、わざわざ再稼働に対する地元の理解取り付けを困難にした。ちぐはぐな対応だ。関西電力大飯原発の再稼働を容認した福井県の西川一誠知事も、政府の方針転換に不信感を表明している。

 核燃料サイクル政策を継続しながら「原発ゼロ」を目指すというのは、明らかな矛盾である。

 これでは、再処理で作った核燃料の使い道がなくなる。

 国策の核燃サイクルに協力してきた青森県からは、使用済み核燃料の受け入れ拒否を求める声も出ている。不誠実な政府方針に対する青森県の怒りはもっともだ。

 青森県が協力を拒否すれば、使用済み核燃料の保管場所がなくなり、各地の原発は早晩、運転を続けることはできなくなろう。

 さらに、原子力の技術者になる人材が激減し、原発の安全性向上や、今後の廃炉作業に支障をきたす恐れもある。


◆日米同盟に悪影響も◆


 日本が核燃料の再処理を委託している英仏両国も、日本企業が持つ原発技術に期待する米国も、強い懸念を示している。

 米国は日米原子力協定に基づく特別な権利として、日本に使用済み核燃料の再処理を認めている。「原発ゼロ」を理由に、日本は再処理の権利を失いかねない。

 米国が、アジアにおける核安全保障政策のパートナーと位置づける日本の地位低下も心配だ。

 日本が原発を完全に放棄すれば、引き続き原発増設を図る中国や韓国の存在感が東アジアで高まる。日米の同盟関係にも悪影響は避けられまい。

 国際社会との関係抜きに、日本のエネルギー政策は成り立たないことを、政府は自覚すべきだ。


産経新聞

原発ゼロ政策 即時撤回して「25%超」に 世界で孤立し責任果たせぬ


 現実を直視せず、十分な検討も経ることなくまとめられた「空論」というほかない。

 政府は日本の新エネルギー計画の指針となる「革新的エネルギー・環境戦略」を決定した。「2030年代に原発稼働ゼロ」の実現を目指すことなどが柱だ。

 野田佳彦首相は「困難でも課題を先送りすることはできない」と述べたが、これに従って政策の舵(かじ)を切れば、エネルギー不足の日本は亡国の淵(ふち)に向かって漂流する。速やかに撤回すべきだ。


≪日本を没落させる空論≫


 エネルギーに事欠く国や文明は存続し得ない。歴史が証明してきた自明の法則だ。大飯原発の再稼働に当たり、野田首相は自ら「原子力発電を今止めてしまっては、また、止めたままでは、日本の社会は立ちゆかない」と宣言していた。あれは何だったのか。

 民主党政権の原発政策は、近づく衆院選を意識するあまりの無責任な迎合だ。20年後の日本社会と国民を犠牲にして党利党略に走る姿勢は許されない。

 民主党政権が描いたエネルギー・環境戦略には、国際的な視座が完全に欠落している。非核保有国でありながら、唯一使用済み核燃料の再処理を認められている日本の立場と責務を、野田首相をはじめ政権中枢部の政治家は誰一人、理解していなかったとみえる。

 日米原子力協定を結んでいる米国へも原発政策の満足な説明をしていなかった。日本が原発の使用済み燃料の再処理を委託している英仏両国も唐突感のある原発ゼロ路線に戸惑いを隠さない。

 千年に1度の大津波で、福島第1原子力発電所は炉心溶融事故に至ったが、日本の原発技術に対する世界の信頼は依然として高い。その日本が原子力発電から撤退すれば、新規導入を目指している途上国などのエネルギー計画は大きな狂いが生じる。

 途上国が地球温暖化と資源問題に配慮しつつ経済発展を遂げようとすれば、原発は不可欠のエネルギー源である。

 民主党政権は、将来のエネルギーシナリオを国民に問うたとき、最終的には「原発比率15%」でまとまると踏んでいた。しかし、意見聴取会で電力会社の社員の声を除外するなどした結果、世論はゼロに傾き、偏った。それに党内の反原発派が雷同し、収拾不能の現状に陥ったのだ。

 このまま原発ゼロ路線を修正しなければ、貴重なエネルギーだけでなく、日本が構築してきた原発技術に対する世界の信用も失うことになる。

 民主党政権の認識不足は、国内対応においても著しい。

 核燃料サイクルは、長年にわたって日本のエネルギー政策の中核として位置づけられてきた。


≪核燃料対策は泥縄式だ≫


 にもかかわらず、そのための主要施設である再処理工場や中間貯蔵施設が立地する青森県の六ケ所村、むつ市に対して十分な説明をしないまま、原発ゼロへの議論を机上で進めた。

 地元の反発に「使用済み核燃料の再処理事業は継続する」との方針を示したが、そもそも原発ゼロなら再処理事業に将来性はない。長期的には大いなる矛盾だ。

 再処理事業の確実な実施が困難になった場合には、かねての協定に基づき、再処理工場の貯蔵プールに置かれている大量の使用済み燃料は、発生元の各原発に返却されることになっている。

 政府は「安全性が確認された原発は当面、重要電源として活用する」としているが、使用済み燃料が戻されると原発の再稼働そのものが成り立たない。

 冷静に状況を判断すれば原発ゼロは不可能だ。野田首相は政治判断を下し、経済界などが主張するように、最低でも25%以上の選択をすべきである。国家百年の計に属する重大事項だ。

 一時的には非難の声を浴びるとしても、国の舵を正しい方向に切るのが首相としての責務である。「国民の過半が望んだこと」として、責任を大衆に押しつける姿勢は無責任にすぎよう。

 「失われた20年」に「エネルギー喪失の20年」を継ぎ足す愚行は何としても避けたい。将来世代のためにも、日本を没落させる道を進んではならない。原発のリスクは否定できないが、原発ゼロのリスクは限りなく大きい。国民も現状の危うさに目を覚ますべきときである。


今回の政府の「エネ環戦略」の矛盾を叩いて批判するのは簡単だと思うんです。
でも、日経以下を読んで思ったんですけど、
じゃあ、どんな社会を目指したいのかってのが見えないんですよね。
脱原発には曲がりなりにも原発ゼロ、脱原発依存という
目標、夢、願望があるわけじゃないですか。


原発維持派が描く未来はどんなものなんでしょう?
現状維持っていうのもツラいと思うんだよね。
原発がズルズル増えていって、最終処分場が見つかるかどうかわかんないけど
何万年もつきあわなきゃいけない放射性廃棄物が
ドンドン増えていく現状維持でしょ。
真綿で首を絞められるような苦しさがあると思うんだけどなあ。
原子力なんか人間の手でコントロールできるようになるぜ!の超ポジティブか
豊かな文明と引き換えに破滅のリスクを負うのは仕方が無いだろ!の開き直りか
どちらかじゃないと、原発とつきあってられないと思うんだけど。
(ま、実質僕らは後者で暮らしてると思うし)
淡々と原発のリスクと正面から向き合った社会ってありうるのかな。


希望、妄想あってこその人間でしょ。
逆説的な言い方だけど
現時点では現実的ではない原発ゼロを、今のうちに目指したほうが
50年100年スパンでは、人間として現実的ではないでしょうか?




核のゴミ 地中廃棄「白紙」提言

2012年9月11日 東京新聞 夕刊

核のごみ 地中廃棄「白紙に」 学術会議 原子力委へ提言


 日本学術会議(会長・大西隆東大大学院教授)は十一日、地中深くに埋める国の最終処分計画は安全とは言えないとし、処分に関する政策の白紙見直しを求める提言をまとめ、原子力委員会に提出した。


 使用済み核燃料を再処理した後に出る高レベル放射性廃棄物は、人がわずか二十秒で死に至る放射線を放つ。国は二〇〇〇年、廃棄物をガラスで固め、地下三百メートル以上の地層に埋める「地層処分」とするよう関連法で決めたが、処分地は白紙のままだ。

 今回の提言は、原子力委から打開の糸口を見つけてほしいと要請された学術会議が、二年がかりで検討してきた。

 提言は、地震や火山活動が活発な日本列島で、万年単位で安定した地層を見つけるのは難しいと指摘。

 処分場が決まらない理由は、どれくらいの量の核のごみなら受容できるか社会的な合意がないまま、一部の関係者で原発の稼働、そこから出る核のごみの処分といった方針を決定してきたことにあると批判。「政策をいったん白紙に戻す覚悟で見直すべきだ」と結論付けた。

 安全な処分方法が見つかるまでの数十〜数百年の間は、地中深くではなく、いつでも移送できる形で暫定的に保管するよう提言。保管を担う地域には交付金などで無理やり納得させるのではなく、保管地に政府機能の一部を移転して安全性への信頼を得るべきだと訴えた。

 ただ、提言内容の通り、将来に安全な処分方法が確実に見つかる保証はない上、暫定的に保管といっても、事実上の最終処分になってしまわないか、地域の懸念をなくすのは難しい。提言の実効性には疑問があり、核のごみの根源的な問題点を見せつけた。

提言はこちら



朝のラジオで森本毅郎が「今になってそんなこと提言されても」と言ってましたが
確かに、時流におもねってるとまでは言いませんが、もっと早く言えよって感じはします。


先日の日本学術会議の学術フォーラムでの大西会長の言葉が思い出されました。



(声だけです)


「日本学術会議は原子力関係についての65本の提言等を行ってきたが、チェルノブイリ事故以前にが55本、それ以降が10本だけ。チェルノブイリ事故に関しては何の声明も出していない。日本学術会議は原子力発電を促すための提言はしてきたが、事故対策・安全管理について深く掘り下げてきたかは疑問。責任を感じ、どうするべきか考えたい」


言わないよりはマシだけど
手のひら返しで放射性廃棄物や原発の危険性を指摘するだけでは
原発推進に乗っかってきた過去に対する責任をとったとは言えないよね。
現実に対していかに有効に働きかけることができるか真剣に考えて
学者さんは誠実に精力的に発信・行動してほしいです。
頼んますよ、ホント。



日本学術会議だぜ

こんなのに行ってきました。



よくよく見るとすごいメンツでしょ。
国会、政府、民間それぞれの事故調の委員長が揃い踏みで。
何と山下俊一先生まで! 夢のオールスター戦じゃないの。



撮影禁止だったんだけど、ちっちゃなカメラで記録のつもりで
動画も撮ってしまいまして(笑)
全部撮ってないし、人目を憚りつつ(チキン!)なので中途半端な代物ですが
アップして、印象的な発言をメモ替わりに書き留めておこうと思います。


まだ日本学術会議のトップページに載ってるし
動画配信もされて、配布資料もアップロードされてるので
ちゃんと見たい方はそちらをどうぞ。




【報告・討論(第1部)国会事故調】


まず、黒川委員長から30分くらいの報告だったんだけど
委員会運営に関する苦労話や裏話的なエピソードを中心に語られて
国会事故調は、黒川さんがかなり主導的な役割を果たして
できたものだということがわかりました。
そこから討論という名の、緩くて短いパネルディスカッションめいたもの。
黒川委員長と山下先生とのスリリングな絡みなんて全然無し!(そりゃそうか)



黒川委員長の発言抜粋


11:48〜
「日本は、ほとんど行政府が政策作って自分たちでやってる。しかも年功序列。入省年次で上がってくるなんて馬鹿げてる。立法府のガバナンスが全く効いてないということ。たまたま戦後の日本が冷戦と日米安保の枠組みで成長していたから、みんな何も思わなかったけど、明らかに発展途上国のモデル。冷戦が終わってインターネットが広がり、めちゃめちゃになって、経済成長しなくなったのは、その都度その都度、責任を回避しようというマインドセットが、責任ある人にずっとあったんじゃないか」


14:21〜
「例えば同じような事故が北海道、他の電力会社で起こったらどうなる? 働いてる人が遥かに少ない。中央とも近くない。東電清水社長を呼んだとき『本当に福島第一は免震棟があったので助かったと思います』とあれだけ言っていたのに、今度の(大飯原発)再稼働には免震棟があるのか? 複数の逃げ道があるのか? 原子力基本法を見ればわかるように、事故が起こらないという建前でやっている」


15:37〜
「今回明らかにわかったのは現場の人は強い。上に行くほどダメになっていくというのが、日本の政府であり、大企業であり、学者、科学者コミュニティもそうか、大学もそうかは知りませんけど、そういう風に外では見られたんじゃないか。専門家という人がテレビに出てくると、枝野官房長官以上のことは言ってないのは明らかだった」


山下先生絡みでは、会場からの質問で、薬害エイズ血友病患者だと言う男性が
「なぜ山下先生を参考人聴取しなかったのか?」(23:53〜)と問い
それに対して黒川さんが答え(30:23〜)
休憩時間にその男性が山下先生にアプローチして
主催者と口論になっておりました(35:05〜)
別の休憩時間にも、山下先生は、他の観客から福島のことで問い詰められてました。
薬害エイズのことは全然知らないので安直な感想になってしまいますが
どこに行っても責められているんだろうなあと
ちょっとかわいそうになってしまいました…
山下先生はずっとおとなしい小声の反応で
彼が内心どんな思いでいるかはわかりませんが
無用な摩擦は起こさないように内向きになるでしょうね。。。




【報告・討論(第2部)政府事故調】



畑村委員長の発言抜粋


00:13〜 
「事故調査に責任追及が無いのはおかしいと思い込んでる人がたくさんいるが、私はそうは思わない」


01:32〜
「強制力を持った調査権が必要とは考えなかった。不都合も無かった」


まずは『失敗学』のポリシー。
次いで、政府事故調の特徴である『委員長所感』について。


一般論にすると禅問答みたいな言葉になっちゃうんだけど
事故に対する具体的な話は結構ダイレクトで面白い。
畑村さん、日本は原発やめたほうがいいんじゃないかって認めちゃってるし。


03:35〜
「原子力安全委員会は1993年に長時間の全電源喪失を考えなくてよいと明文化している。何でこんなことを平気で言ったんだろうと不思議で仕方がない」


05:50〜
「6m弱の津波までで、それから先は考えていない。実際に来た津波は14〜15m。2.5倍のことが事実として起こったのに、それを考えなくてよかった訳はない。実際に起こったときの説明は全部『想定外』。見たくないものが見えないから」


07:41〜
「世界のあっちもこっちも、洪水もあったり色んなことが起こっている。全電源喪失が台湾でも起こっていたのに、日本中がみんなで考えないようにして、知らなかったという格好が明らかになってくるのは、とても変」


08:26〜
「防潮堤を作るのはものすごくお金がかかると言う。しかし、本当に津波対策で必要最小限だったものは他にある。可搬式の電源と可搬式のコンプレッサーがあって、接続の準備がきちっとしてあれば、こんなに酷いことにはならないで済んだ。コストの説明に逃げ込んで、本当のことを考えようとしないで一見判った風になっている私たちがいる」


09:35〜
「危険の存在を認めていないので、原子力の防災マニュアルがきちんとしていない。訓練がちゃんと行われていない。みんな『訓練はちゃんとやっていた』と説明するが、それは嘘。嘘という言い方をきちんとしないのがいけない。訓練が役に立ったと言う現地の人は一人もいない」


17:55〜
「複合災害ということを考えなきゃいけないのに、全くされていない。1号炉から4号炉まで直列につないでいる。1号炉から4号炉のどれか1つダメになったら、隣の炉への対応がとれなくなると考えられている風に見えない。4号炉が吹っ飛んだのは3号炉から水素が行ったのではないか。隣に繋がるところがあるかもしれないと誰も考えないから起こる。1号炉、2号炉、3号炉、どれかが一つ吹っ飛ぶと、それまで放水用のポンプを入れて注入しようとしていたものが全てダメになってまたやり直しになる。設計の問題といっしょに工程管理の問題もひっくるめて、もともと、サイトのなかにどのくらいの数の原子炉をどのくらいの間隔で置いたらいいかという、基本に関わるところ。誰も考えていないか、途中で気がついても、もう動かせないから考えなくなってしまったのではないか。こういうのは事故調(報告書)には書いていません。こういうことを言うときは個人的見解だと断って言ってくれと言われている。でも、個人的見解を言わないと学んだことにならない」


21:24〜
「(Q.日本は原子力発電をやっていける能力がないのでは?)今おっしゃった通りに感じています。テロの話が出てくると、みんなテロの話になる。スリーマイルで学んだのは人間の判断は間違えるということ。チェルノブイリでは、方式自身が発散型になったときには止めようもないこともあるという、“型”自身の危なさ。福島で学んでいるのは、自然では能書きの外側のことも起こる。自然災害を甘く見るな。テロだって簡単ではない。テロじゃなくてもいっぱいある。人間の悪意。悪意を持ってこういうものを扱おうとする。それがテロという一つの格好で起こる。テロのことばかりやってると、4つやってればいいで話になってしまう。そんなのおかしい。5つ目6つ目7つ目と考えて、どういうシナリオで何があるかということを真剣に考えて議論できるようにならないと、本当の意味での安全は進んでいかない」




【報告・討論(第3部)民間事故調】



北澤委員長の発言抜粋


02:21〜
「日本だけが安全神話『100%安全だ。だから改善などということはありえない』。文書に『安全性のための改善』などと書いてはならない。他の国は、スリーマイル、チェルノブイリ、9.11があって、どうリスクに対応すべきか色々取り入れた。世界に比べて、最後の最後の安全策、過酷事故が起きたらどうしたらいいのか、日本だけが対策ができていなかった」


03:49〜
「原子炉というのは人間がお手上げとなったら暴れだすモンスターであると、国民は知らされていたのだろうか?恐らくここに居られるほとんどのかたも知らされていないと思う」


06:35〜
「日本の原子炉は非常に過密に設置されている。過密に設置された原子炉の中に、さらに使用済み核燃料という、原子炉自身が持っている放射能よりももっとたくさんの放射能を持った燃料棒が蓄えられている。どれか一つの炉が事故を起こして放射能レベルが上がると隣の炉の措置ができなくなる。吉田(所長)さんが一人で現場の全ての面倒を見る。一人で6つの原子炉と7つの使用済み燃料プール全部に注意は行き届いていない」


12:33〜
「東電が全面撤退したいと言ったかどうかに関して、国会事故調とちょっと違った見方をしていますが、ヒアリングした人が違うということもある。真実はテレビ会議のビデオの中に隠されていると思う。丹念に見ていけばわかる」


20:55〜
「いずれ推進側に戻って行かないと老後の生活が…などと思ってる人が保安院長をやっていたら、ちゃんとした規制なんてできるわけがない。しかし、日本はそれが実情。自縄自縛状態というのは、残念なことには学術会議の会員のかなりの方々も含めて学会も陥っていたし、現在も陥っているかたがこの中にもたくさん居られると思う」


24:22〜
「アメリカでは原子力は完成した技術であるというコメントがありましたが、私はとんでもないと。原子炉というのは完全な未完成な部分であって、人間がお手上げと言ったら何故止まるようにできていないのか? それはフェイルセーフ(fail safe)の精神。工学ではお手上げのとき止まってくれるのが当たり前」


45:47〜
「教育は重要。推進側は大学に非常にアプローチをかける。私も東大の工学部にいたのでよくわかっている。私自身もいろいろな企業から委任経理金と呼ばれる寄付金を貰ったりする。原子力の関係者は圧倒的に多い。だいたい10倍くらい多いと言われている。推進側だけに大学が巻き込まれてしまっていると、大学の人たちが安全規制とか中立的な委員になれるか難しい」


58:28〜
「(55:54〜 Q.フェイルセーフができていないものは技術として諦めるのが、科学的な考え方ではないか?)きちんと対処しようとすると原子力を止めなくてはならないのではないか、再稼働が先なのか、対処してから再稼働するのか、に関して言うと、フィルター問題にしても免震棟にしても未だできない。その点から言えば、全てのことは対処されてはいない。ただ、可搬型の電源を持ってきたり、今までより電源を上のほうに上げるとか、ある部分の対処はやっている。イチかゼロかという話ではない。いろいろなことを話し合った上で、政府が『原発はこの程度は動かしますよ』ということは、どこかで決めざるをえない。もしも、何基か動かすということになると、どれを動かすのが一番安全なのかということは、我々科学者、技術者の意向は相当に強く出せると思うが、最終的に危険があっても何基動かすと我々が決めるわけにはいかない」


北澤氏もサラリと原子力に対して割と厳しいことを言ってる気がします。
ま、最後の原発再稼働についてのコメントは、尻つぼみな感じは否めませんが。
あと、学者、学会の責任について、3人の委員長の中では一番触れていましたね。




【総括討論‐事故報告書が明らかにしたものと今後の課題‐】


他のパネリストのスピーチみたいのがあって
内容的にも時間的にも全然「討論」になってませんでした。
3人の委員長の発言は以下の動画にあるだけ。



08:26〜
北澤「結局今回の事故は、もはやあの4つの原子炉はダメだと、いつ諦めることができたか。諦めたとしたら、やる手はあったと私は思っている。原子力工学の専門のかたに訊いても『いや、やっぱり無理だったんじゃないか』と言うかたもいるが、中身をちゃんと見ないとわからないので、正解は本当はわからないが、もう一度あの事故が起こったらどう食い止めるかというのは大きな問題。大きく言えば、誰がいつ諦めて最終的な手段をとるのか、最終的な手段というのは、有り余ってる水、海水を運んできて原子炉の中にぶち込んで、そうなると原子炉はダメになってしまうが、そういうことことをいつ決断し、原子炉がまだコントロールできるうちにやるというのが、楽観的に見てる間に、手遅れになった。3つも手遅れにしていまう日本の技術というのはどういうレベルなのかと海外から言われても何とも申し開きができない」


これは、吉田所長の判断・対応もベストじゃなかったということだよね
(もちろん吉田所長の責任と負担は大きすぎたんだろうけど)


10:20〜
北澤「失敗の本質ということで、第二次大戦の日本の状況と似ているのでないかというご質問がありました。いったい誰がその方向に向けて、日本は大丈夫だと突き進めているのか、見えない。ところが、みんなで突き進めてしまう。ブレーキをかけるとか、違う方向に向かうとか、そういうことを誰も言い出せない状況になっている」




というわけで、以上です。


期待外れでもあり、期待以上でもあり。
国会事故調は結構ウォッチしていて、今でもネットで観られるから
内容とか黒川委員長のキャラとかそれなりに知ることができるんだけど
政府事故調の畑村委員長と民間事故調の北澤委員長は
生のしゃべりをほとんど見たことがなかったから新鮮。
二人とも面白かったですよ。
黒川委員長よりも辛辣なんじゃないかって印象も受けました。
二人とも『創造性の育成塾』でも同じこと語ればいいのに。
科学について、これ以上のトピックは無いのにねえ。


ともすると、政府事故調と民間事故調は、国会事故調より軽視しがちですが
(けど3つの報告書全部読んでらんねえというのは現実としてあると思う)
マスコミ報道だけを通して、知った気になるのは良くないなあと改めて思いました。


そういう意味では非常に面白かったんだけど
だからこそ、もっと時間をとって本気で討論してほしかったですね。
だいたい、本気で発信するつもりなら平日の昼間にやるなよ。
客席、リタイアしているような年齢層のかたばっかりよ。
(その人たちが悪いんじゃないけどさ)
何だよ定員300名って。
メンツから言って日本武道館でやるくらいの集客能力はあると思うね。
東京ドームもその気になればいけるぜ。
3人の事故調委員長で全国ツアーやればいいのに。


僕にプロモーターやらせて。





創造性の育成塾 有馬朗人塾長 講義検証②

(講義全体の動画は創造性の育成塾 > 第7回夏合宿 > 授業レポートで見られます)


有馬先生、講義開始から1時間以上が経って
福島第一原発の事故について触れ始めます。



【津波はノーマーク】


 
 (講義の動画 1:05:25〜)




「ごくごく僅か、2人3人というごく僅かな人が
 1千年前に大きな津波があったらしいということを言い出して
 その人たちの意見は十分な実証性が無いと、地震科学者自身が考えていた。
 でも、もっとわれわれは、その人たちの言うことに耳を傾けるべきだった」
 

1千年前の話を信用するかしないかの問題じゃないでしょ、福島第一原発の事故は。
「耳を傾けるべきだった」と言いつつ
「ごくごく僅か」な少数意見であったことを強調してるし。
地震学者だってまともに取り合ってなかったのに
ましてや我々が…って聞こえるよね。


国会事故調ははっきり言ってる。


  (国会事故調 報告書 P82)




「私が一番残念に思ってるのは、2005年にスマトラ沖に大地震があって
 25万人死んでる。

 そのことを知ったとき、日本の対策をもっと厳しくせよと
 なぜ私自身が言わなかったか」


有馬先生が言わなくても
スマトラ沖地震の後、津波の危険は日本でも取り沙汰されていた。


  (国会事故調 報告書 P85)




「安全だと思わなかった人がいる。褒めようと思う。東北電力の技術者だ。
 東北電力の技術者は、女川というところに原子力発電所を造った。
 女川には明治の頃に大津波が来て13mの高さがあった。
 そういう言い伝えをよく聞いて

 東北電力の技術者たちは、13mより上に原子力発電所を造った。
 そのために、原子力発電所には、津波のときに女川の人がみんな逃げ込んだ。
 そして、女川の人々の相当部分が原子力発電所の中で助かったし
 原子力発電所はついに故障を起こさなかった。
 それに比べて福島第一のほうは可哀想に
 仙台より南には津波が来るという伝説が無かった」


「言い伝え」とか「伝説」とか
有馬先生は、3.11の津波を科学の守備範囲を超えた話にしたいみたいね。
「褒めようと思う」…って何だかなあ。


国会事故調は女川原発についても言及している。



  (国会事故調 報告書 P186〜187)


満潮のときに地震が起こってたら女川原発もアウトだった。
無事だったのは運でしかない。
それを「褒めようと思う」じゃねえよ!
それに、地元の人たちは津波から避難するために発電所に逃げたんじゃないんだぜ。
津波のあと、道路が寸断されて行き場を失った人たちのために
発電所の体育館が開放され避難所になったという話だよ。
有馬先生の言いかたは事実と違うよね。わざとだったら呆れるよ。
何か本当に、電力会社のことを少しでも良く言おうとしているような。。。


あと、そもそも
福島第一原発の事故の原因は津波だけと決まったわけじゃないからね。

これについては後述。


全然終わらん。
続きます。。。



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続きますと書いてておいて続いてなくてm(__)m
完全にタイミングを逸してしまいました。


そのうち、こっそりアップするかもしれません。。。



創造性の育成塾 有馬朗人塾長 講義検証①

やっと、有馬先生の講義をじっくりと見ました。
去年は“原発”に全く触れませんでしたが
今年ようやく「エネルギー問題を考えよう」です。
ギャーギャー文句言って来た甲斐がありましたね(笑)



で、ま、率直に言って、有馬先生ですからね。
山下俊一先生みたいに、突っ込んでくださいと言わんばかりの発言は
無いだろうなと思ってたんだけど…



ありますね。


じっくり見ると結構おかしな事なこと言ってる。


ということで、講義を見ながら検証していきましょう。
(講義全体の動画は創造性の育成塾 > 第7回夏合宿 > 授業レポートで見られます。
 ここでは該当部分の動画を引用して説明します)




【世界の人口増とエネルギー不足】


 
 (講義の動画 13:51〜)


「2035年、先進国の人口は今と変わらず10億だけど
 中国・インドだけで30億になる。

 彼らが先進国並みににエネルギーを使うようになったら、今の4倍要る。
 他にもアフリカとか南米にも要る」


こう言われると
「今の4倍か〜、そりゃエネルギー足りないわなあ」って思うよね。


けど、その後、講義はこう続くんだ。


 
 (講義の動画 17:57〜)


「これは私が先程言ったより、ゆっくりとした評価ですが」
「先程今の3倍4倍になるよと言ったけれども、それほどではないかもしれんけど」


って????


動画だとパワーポイントがよく見えないので、引用してる資料を探して見つけたよ。

原子力委員会 第9回新大綱策定会議 アジア/世界の長期エネルギー需給見通し より


この予測にどの程度信憑性があるのかはわからないけど
原子力委員会で使われた資料だから
少なくとも将来のエネルギー消費を楽観的に見積もったものとは思えない。


右上の世界の推移の欄に「1.5倍増」とある。
全然「4倍」じゃないじゃん!
最初からこの資料を引用して話せばいいのにね。


有馬先生、それでも
「世界平均をするとエネルギーが今の2倍以上になるってことが
 これでおわかりになる」

だから「1.5倍」だって!
少しでもエネルギー消費が増えることにしたいのかなあ。




【地球温暖化問題】


 
 (講義の動画 39:22〜)


「世界の50%が人間が住めなくなる」
「生存可能な人間は10億人以下。産業革命以前の人口に戻る」


そりゃ破滅だよね。不安にもなるよねえ。


出典はなんだろうとネットで調べてみたんだけど、見つからない。
同様な見解、予測も見当たらないんですよ(僕のリサーチ不足かもしれませんが)。
結局、行き着いた先はIPCC(気候変動に関する政府間パネル)で
IPCC第4次評価報告書(第5次は現在作成中なのでこれが最新)には
こうあります。

   環境省 IPCC第4次評価報告書 第2作業部会報告書 概要 より


「気温の上昇が約2~3°C以上である場合には、すべての地域は正味の便益の減少か
正味のコストの増加のいずれかを被る可能性が非常に高い」
だからね
有馬先生の言う「4℃上昇したら生存可能な人間は10億以下」
(今の世界の人口は70億だから60億減)
と比べると、かなりトーンが違うよね。
ま、ICPPは世界の見解だから
最大公約数的な無難なものになりがちだとは思うんだけど
そうは言っても「4℃上昇→人口10億」は、かなり極端な話に思えます。


そもそも、地球温暖化で4℃上昇するの?って疑問もあります。
それもIPCCによれば、以下の通り。


    環境省 IPCC第4次評価報告書 第1作業部会報告書 概要 より


A1F1という「化石エネルギー源を重視した『高成長型社会シナリオ』」を
世界が選択した場合に
(要は20世紀同様のイケイケの大量消費社会を続けた場合ってことだよな)
21世紀末、世界の平均気温は4℃上昇する、と予測されるということです。
で、その場合も2.4〜6.4℃まで予測の振れ幅があるし
社会シナリオによっては1.1〜6.4℃まで更に予測の幅が広がっている。


何かすっごい、寄り道して勉強してるけど(笑)。


要は、有馬先生の言う「4℃上昇→人口10億」は
かなり最悪なケースなわけでしょ。
だいたい60億も人口減るんだったら『高成長型社会シナリオ』は続かないだろうし
21世紀末は化石燃料もかなり枯渇しているはずだしねえ。
もちろん、現状に警鐘を鳴らすのは悪いことではないと思うけど。
冷静に考えると、脅かしてない?という気がしてきます。


で、さっきの講義の動画を見てもわかるけど
実は有馬先生、最初に地球温暖化の根拠について話してたときは
IPCCの見解を引用してるんだよね。
パワーポイントにもそう書いてあります。



しかし、4℃上昇した世界について語るときには
IPCCではなく、色々な人の見解を引用してしています。
その時のパワーポイントです。



うーん。無理矢理寄せ集めた感がありません?
IPCCはどこ行ったの?
こう並べられると「4℃上昇→人口10億」は
専門家の間でかなりポピュラーな意見に見えるんだけど
実際はどうなんでしょうか? 誰か詳しい人、教えてください。
調べても出てこないし、温暖化の危機を強調するために
恣意的に引用しているように思えてくるんだよね。




【CO2削減のためには】


 CO2排出も中国やインドでどんどん増えるというお話…


 
 (講義の動画 40:49〜)



「我々が散々エネルギーを消費して散々CO2を出しておいて
 後から来る国々に減らせとは言えない。

 先進国がエネルギーの消費を減らし
 CO2を出すのを減らしていかなければならない。

 このためには何が重要かというと科学の力。技術の力を借りなきゃいけない」


「科学の力、技術の力」って要は原発って話なんだけど
有馬先生、そこまでは言わない。
けど、『エネルギー・原子力政策懇談会』の設立趣旨で、彼はこう書いている。



それはそれで1つの見識なんだから、はっきり言えばいいと思うんだけど。


そもそも、CO2の削減には原発が不可欠のように語られますけど
果たして本当なんでしょうか?
そう思いながら、上で紹介した
原子力委員会 第9回新大綱策定会議 アジア/世界の長期エネルギー需給見通し
を見てたら、面白いデータがありました。

         


この『技術進展ケース』というのが、どの程度の難易度なのかはわからないけど
「技術進展により世界のCO2排出量は2020年代にピークアウト」するんだからね。
その場合、世界全体のCO2削減量のなかで原子力によるものは14%だって。
日本の原発はさらにその内の何%でしょ。
大きな声じゃ言えないけど
日本が原発やめたって大勢に影響ないんじゃないの(笑)
もちろん、CO2削減は世界でどう取り組むかだし
「CO2排出削減に効果的な単一的な施策は存在しない」とも書いてあるから
『技術進展ケース』は原発利用とリンクしているのでしょう。
けど、少なくとも
「日本の原発ゼロ→世界4℃上昇→世界人口10億」ではないことがわかるよね。




【日本の再生可能エネルギー】


 
 (講義の動画 55:42〜)


「10年かけて日本はドイツの半分くらいの再生可能エネルギーしか得られない。
 どうですか? これで間に合いますか?
 30%の原子力を止めて5%しか10年間で出ない」

「10年かけて最大500億kWhでは残念」


有馬先生の言ってるのは『再生可能エネルギー固定価格買取制度』だと思うので
調べてみたんだけど
そんな縛りとか上限みたいなものは全然見当たらないんだよね。


再生可能エネルギーの固定価格買取制度について
なっとく!再生可能エネルギー トップページ


そこで、資源エネルギー庁 新エネルギー対策課に訊いてみると…


「2030年までに20%台までに再生可能エネルギーを普及させるという
 枠組みはあるんですけど

 これ以上普及させてはならない、これ以上買取れませんよ
 という規定・制限はない。

 『最大500億kWh』という数字については
 何を元にそういう話をされているのかわからない」


うーん。有馬先生の話は何なのだろう。
大嘘? 勘違い?
何か他の制度や仕組みのことを言ってるのかなあ。
誰か教えてください!



ということで、長々と書いてきましたが、まだ半分もいってません(笑)
一旦まとめます。


有馬先生の話って、特に突っ込むつもりもなく流して聞いてると…

  • 世界の人口は増え続けエネルギーは今の4倍必要になる
  • 地球温暖化によって気温が4℃上昇すると世界の人口が10億人に減る
  • 中国やインドなどの経済発展で世界のCO2排出量は増え続ける
  • 日本の再生可能エネルギーは10年で5%のシェア増にしかならない

⇒ やっぱり原発は必要かな… という気になるよね


けど、ちょっと冷静になって、気になったところを調べてみると…

  • 世界のエネルギー消費は1.5倍増
  • 地球温暖化による気温上昇は複数の予測シナリオがあり+4℃はそのうちの1つ
  • 技術進展により世界のCO2排出量は2020年代に減少に転じる予測もある
  • 日本の再生可能エネルギー固定価格買取制度には普及を抑える制限や規定はない

全然違うよ!


もちろん楽観は禁物だし、脱原発で無問題なんて全然思わないけど。
有馬先生は誘導しているような気がするなあ。原発推進に。
自然とそうなってしまうのはしょうがないと思うんだけど
今回講義を見返してみて
もしかしたら十分意識して計算して
プレゼンしてるんじゃないかって気がしてきましたよ。
どう思います?


というわけで、続きます。


原発銀座に行ってきました

しばらく地方に出ておりまして
ついでに福井の原発を駆け足で見て来ました。


まずは、高浜原発
関西電力の八木社長が大飯の次に再稼働させたい原発として口を滑らせたところ。



円筒形の建物2つが1号機、2号機。
今まで福島第一、第二、柏崎刈羽と見たことあるけど
外からこんなに、中が見られる原発って初めてかも。
柵の隙間から入れそうだったぞ(笑)


同じく高浜原発、近くの港(内浦港)から。


  


上が丸っこい建物が、再稼働候補の3号機、4号機。
この港、日本の中古車をたくさん積み込んだ専用船が停泊していて
どこ持ってくんだかわかんないけど
何か不気味な雰囲気がする(地元のかたスミマセン)ところでした。



次は、美浜原発





  


エメラルドグリーンの海(水晶浜と言って有名らしい)
海水浴客で賑わうビーチ
その向こうに。。。原発!
シュールというか何と言うか。



美浜原発から約5kmしか離れてないところにある高速増殖炉もんじゅ


  


意外に近くまで行けるので驚きました。


そこから更に5kmくらいのところに敦賀原発があるんだから(行かなかったけどね)
なんぼなんでも、ありすぎだろ!


5、6年前に、福島と柏崎に行ったときは
発電所のゲートの前に常にパトカーがいたけどなあ。
(アメリカでの同時多発テロの影響がまだ残っていたとは思う)
関西電力の原発って(もんじゅは日本原子力研究開発機構だけどさ)無防備じゃね?
テロ対策とか考えてなさそう。
まあ、テロに関しては東電もいっしょだろうけど。


あ、肝心の大飯原発はゲートの前に行けるだけで、全体は全然見られませんでした。
わざわざそう造ったのか? 地理的条件からそうなっただけなのか?
単に後者だと思うんだけど。