チャンネルJのJはJapanのJ?JournalistのJ?

旧タイトル「労働組合ひとり」。チャンネルJという朝日新聞OBが作った原発ムラの末端の末端くらいの会社で、ひとりで労働組合に入って活動してたら解雇されました。もともと労働組合を通して会社と戦う話のつもりだったのですが、紆余曲折ありまして。。。あくまで原発問題は脇筋です。ただ、天下国家を偉そうに語る連中の姑息なインチキがムカつくので、今も盾突いてます。

そもそもの経緯

※このカテゴリーはこの記事だけです。


2003年 hitori001 株式会社チャンネルJに入社
2004年 hitori001 管理職(課長)となる


超スピード出世!
まあ、映像業界の落ちこぼればっかり集まっているような会社だったわけです。
僕も、こんな自分でも通用する!と思って頑張ったのですよ(笑)。


2006年 hitori001 佐田専務取締役(当時)と喧嘩して課長をやめる。


結局、朝日新聞OBである佐田氏のワンマン会社。
彼のコネで、名だたる大企業や官公庁系から仕事をもらっていた。
端的に言って、彼に食わせてもらっていたわけで、
感謝もしていたし、分もわきまえていたつもりなんだけど
彼に振り回されることも多いわけです。
多くの人が彼と揉めて辞めて行きました。
僕も、腹に据えかねることがありまして…


課長を辞めたとき、会社を辞めたほうがカッコいいと、僕も思ったけど
(後輩から「hitori001さん会社辞めないんですか?」とか言われたしね)
それまで会社に費やしたエネルギーを考えると癪でもあったし
仕事自体は嫌いじゃなかったし、無職は不安でもあったし
居ながら次の展開を考えようと思っていたわけです。
そのうち「労働組合」ってものを考えるようになったと。


2008年 飯嶋部長入社


この人の登場が一つの転機かもしれません。
僕が管理職降りて、しばらく経って
社内のテコ入れのために佐田が連れてきたんだけど
けど、この飯嶋が本当に困った(ゴメンね)人だったのです。


家に帰らず会社に泊まる。居眠りしまくる。
威張る。仕切りたがる。かえって混乱する。
会社さぼって中国人ホステスと遊んで、それをブログに書く。
けど、給料50万(一番高い)
で、肝心の仕事はというと。。。


と、ここでチャンネルJの基礎知識。
チャンネルJはNPOネットジャーナリスト協会という別の顔を持っています。
両者は実質同一組織で
同じ事務所に外線が2種類引いてあり、社員も名刺を2つ持っていて
仕事で使い分けています。
そのネットジャーナリスト協会の会長が有馬朗人元文部大臣で
彼を旗頭に理科教育や原子力関連の仕事を
チャンネルJ(=ネットジャーナリスト協会)はやっておりました。
その1つに
科学技術振興機構のCS(現在はネット配信)放送
「サイエンスチャンネル」『進む放射線利用と原子力ルネッサンス』というのがあります。
有馬先生の協力もありゲットした、今後につなげていきたい大事な仕事で
その担当に、飯嶋部長がなったのですが。。。


大失敗


彼がディレクターをやった2本が2ヶ月の納期遅れ。
おかげで、翌年、科学技術振興機構「サイエンスチャンネル」から仕事は取れずと。


僕もダメ人間なので、彼のことはそんなに嫌いじゃなかったんだけど
他の社員たちの反発は大きかった。


しかし


2009年 飯嶋、常務取締役となる。


社内脱力。諦めムード。


で、僕は労働組合加入を検討し始めたと。


そんなとき、給料カットの噂が聞こえてきまして
この辺から、本ブログの始まり始まりと。。。